レオナルド・ダ・ヴィンチのエピソード 結城永人 -10月 13, 2023 レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯の際立った事柄 Statue of Leonardo da Vinci by Wikibusters / CC BY-SA レオナルド・ダ・ヴィンチは絵画、科学、発明などの分野で活躍したルネサンス期の天才です。修業時代は師匠が画家を辞めるほどの驚異的な画才を放ちました。その後、芸術と科学の多方面で現代に通じるほどの画期的な功績を残しました。名画『モナリザ』は死ぬまで描き続けられて依頼主へ渡されず、謎を多く残しています。 関連ページレオナルド・ダ・ヴィンチのプロフィールレオナルド・ダ・ヴィンチのキャラクター 修業時代から放たれた衝撃の画才 1472年から1475年のエピソード ダ・ヴィンチはアンドレア・デル・ヴェロッキオの工房で絵画部門を任されました。これは工房の『キリストの洗礼』に描いた天使の絵を見た師匠のアンドレア・デル・ヴェロッキオが余りの出来栄えの良さに衝撃を受けて自身の絵筆を折ったためでした。アンドレア・デル・ヴェロッキオはもう二度と絵を描かなかったともいわれますが、少なくとも工房で専門の彫刻部門に止まったことは確かだったようです。ダ・ヴィンチとアンドレア・デル・ヴェロッキオの共作には『受胎告知』も挙げられますが、およそダ・ヴィンチが一人で制作しており、彼の画家としての最初の作品と考えられています。 ミラノ公に仕えて芸術活動に邁進 1482年から1499年のエピソード ダ・ヴィンチはミラノ公国で活動している間にサン・フランチェスコ・グランデ教会付属の無原罪の御宿り礼拝堂の祭壇画の『岩窟の聖母』(二点、あり、制作に関する詳細は不明)やサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の壁画の『最後の晩餐』を制作しました。その他、ミラノ公のルドヴィーコ・スフォルツァ/イル・モーロの要請により、特別な日に使用する山車とパレードの準備、ミラノ大聖堂の円屋根の設計、スフォルツァ家の初代ミラノ公のフランチェスコ・スフォルツァの巨大な騎馬像の制作などの様々な企画に着手しました。 地図や兵器を考案した軍事技術者 1502年のエピソード ダ・ヴィンチはチェゼーナを訪れてロマーニャ公爵のチェーザレ・ボルジアに会うと建築技術監督兼軍事顧問となって彼の軍に同行しました。ウルビーノ、ペーザロなどに滞在してからチェーザレ・ボルジアが本拠地としたイーモラに入るとロマーニャ公国の防衛体制の施策を練りました。チェーザレ・ボルジアはダ・ヴィンチを「最も親しい友人」と捉えてロマーニャ公国内の通行許可証を与えました。ダ・ヴィンチは地図を始めとして新兵器のデッサンやイーモラでの研究結果のスケッチ、チェーザレ・ボルジアの肖像のようなデッサンなどを残しました。 手元に『モナリザ』を残して他界 1503年から1519年のエピソード ダ・ヴィンチは『モナリザ』を制作しました。モデルはフィレンツェの裕福な絹商人だったフランチェスコ・デル・ジョコンドの妻リザで、一家の新居への引っ越しと次男アドレアの出産祝いに依頼したと推測されます。しかしながら『モナリザ』は依頼主に渡されることはなく――若いモデルと老けた肖像の年齢が合わなかったり、もう一枚のモデルに近い年齢の肖像の『アイルワースのモナリザ』(ダ・ヴィンチの真作かどうかは未確定)が存在したり、さらに『モナリザ』自体の下層にもモデルの年齢に近い肖像が見付かるなど、謎が多いです――死ぬまで描き続けられた可能性が高いため、未完の絶筆と捉えられます。 YouTubeレオナルド・ダ・ヴィンチのエピソード 些細な日常詩と人生のためにダ・ヴィンチのモナリザに隠された芸術上のヒントを追えレオナルド・ダ・ヴィンチのアイルワースのモナリザは真作といって良いのではモナリザの見えない三層目に残されているモデルのリザ・デル・ジョコンドの復元図宜保愛子のレオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザの否定できない霊視 コメント 新しい投稿 前の投稿
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